お祭りミュージアム

ホーム > 東京下町のお祭り > 浅草&三社祭年表

浅草&三社祭年表

浅草と三社祭に関連する出来事を年表にまとめました。

赤字三社祭に関連する出来事です。

 

西暦
元号
出来事
628 推古36 3月18日、この地の漁師、檜前浜成・竹成兄弟が江戸浦(現・隅田川下流)で漁撈中に網で一体の小さな仏像をすくい上げる。これを聖観世音菩薩と知った郷司土師真仲知は自ら出家して自宅を寺とし、観音像を奉安供養する。
645 大化1 飛鳥からこの地を訪れた勝海上人が現在地に観音堂を建立し、夢告により本尊を秘仏と定める。このことから勝海上人は開基(浅草寺を創立した僧)とされる。
857 天安1 円仁(慈覚大師)が聖観音像を刻し、御前立本尊として本堂に納める。このことから慈覚大師は浅草寺中興開山の僧とされる。
942 天慶5 武蔵守平公雅(たいらのきんまさ)、浅草寺本堂を再建。雷門、五重塔、仁王門などを建立して田園数百町を寄進する。
1041 長久2 大震災により浅草寺本堂が倒壊(のちに再建される)。
1070 延久2 源義家(みなもとのよしいえ)、奥州征伐の途次に浅草寺に参詣。戦勝を祈願して榧(かや)の木を植える。
1079 承暦3 12月4日、浅草寺炎上(のちに再建される)。
1150頃 久安2頃 この頃、源義朝(みなもとのよしとも)が参詣。承暦の火災の際ご本尊自ら避難されたと伝わる榎の木で聖観音像を刻み奉納する(像は現存)。
 
1180 治承4 源頼朝が参詣し、平家討伐の戦勝を祈願する。
1312 正和1 浅草観音船祭が初めて行われる。
1387 至徳4 足利義満、浅草寺の鐘を鋳造(至徳の鐘として伝法院に現存)。
1590 天正18 4月、徳川家康、浅草寺を祈願所と定め、寺領500石を寄進する。
1616 元和2 徳川秀忠、家康の持仏(聖観音像)を浅草寺に納める。
1618 元和4 徳川秀忠、浅草寺境内に東照宮を建立。随身門(現在の二天門)も落成。
1625 寛永2 「江戸名所図屏風」(出光美術館蔵)に3基の宮神が描かれる。
1631 寛永8 浅草寺炎上。3基の宮神輿も焼失。
1635 寛永12 小堀遠州、伝法院の庭を作庭(伝)。
1636 寛永13 江戸城三十六門の一つ、浅草見附御門が建設。
1637 寛永14 徳川家光、三社大権現一之宮、二之宮、三之宮を寄進。
1642 寛永19 2月、門前町家の失火により浅草寺観音堂、浅草東照宮を焼失。東照宮の権現像は浅草神社に合祀される。
1644 正保3 この頃、浅草寺領内に住んだ幕医・板坂ト斎(いたさかぼくさい)は「浅草文庫」と称して蔵書を公開(日本最初の公共図書館とされる)。
1649 慶安2 徳川家光、三社権現社(現・浅草神社)を再建。
1654 承応3 3月、浅草寺開帳を執行(江戸における初の寺院開帳)。  
1657 明暦3 1月、明暦の大火(振袖火事)。吉原が人形町から日本堤ヘ移転、新吉原に。東本願寺(東京本願寺)も神田から現在地に移転。
1687 貞享4 「江戸惣鹿子」(藤田利兵衛著)刊行。3月18日三社権現祭の記載あり。
1735 享保20 「続江戸砂子」板行。3月17日浅草三社を神輿に遷し本堂法會。18日観音祭。だし練物浅草の大通りを見附まで渡り、浅草御門の外、神田川にて御輿を船に遷し浅草川を漕いで駒形より上がらせらる、との記載あり。
1772 安永1 2月、目黒行人坂から出火した明和の大火により伝法院焼失(1777年に再建。客殿、表玄関などが現存)。
1774 安永3 花川戸の伊右衛門が幕府の許可を得て吾妻橋を架ける。
 
1781 天明1 3月18日、しばらくぶりに三社権現祭礼。神輿乗船練物が出される。
1838 天保9 3月18日、浅草三社権現祭礼。神輿3基浅草大通りを浅草御門まで渡り、同所より船に移して大川筋へ出、花山戸と山之宿の間より陸へ上り、随身門より還輿。六郷大森村の漁師が神輿を運んだという。
1842 天保13 江戸市中に散在していた歌舞伎三座(中村座、市村座、河原崎座)と操り人形の薩摩座、結城座などを浅草に集め、猿若町と名付ける。
1865 慶応1 3月18日、浅草寺三社権現祭礼。町内より車楽蓮物多く出る。12月、田原町からの失火で雷門を焼失(1960年に再建)。
1868 明治1 明治維新。神仏分離令発布。三社権現社改め三社明神社となる。田町より四之宮が奉納される。
1873 明治6 旧暦から改暦され、祭りの日がそれまでの3月18日から5月18日となる。三社明神社改め浅草神社となる。
1884 明治17 浅草神社本社神輿3基のレプリカを作る。ひょうたん池できる。  
1885 明治18 花やしき開園。仲見世が煉瓦造り2階建てになり開業。
 
1890 明治23 凌雲閣(十二階)完成。
1897 明治30 10月、菊供養の行事を初めて営む。
1910 明治43 8月、関東大水害。荒川(現・隅田川)が決壊する大災害となる。このとき浅草寺救護所を開設(現在の浅草寺病院)。
 
1911 明治44 浅草寺本堂と五重塔が国宝に指定される。
 
1923 大正12 9月1日、関東大震災。浅草寺念仏堂などを焼失。凌雲閣(十二階)も崩落する。
1924 大正13 現在の仲見世の建物が完成する。
1927 昭和2 6月、駒形橋完成。12月、浅草-上野間に東洋初の地下鉄が開通(現在の銀座線)。
1928 昭和3 1月、蔵前橋完成。4月、言問橋完成。
 
1929 昭和4 1月、厩橋完成。
1938 昭和13 戦火の拡大により三社祭中止される。
1945 昭和20 3月10日、東京大空襲により浅草寺本堂、仁王門、五重塔その他を焼失。二天門、伝法院、浅草神社は無事だったが、本社神輿は新旧7基すべてが焼失。
1948 昭和23 三社祭が復活。
1950 昭和25 浅草神社社殿が重要文化財に指定される。本社神輿一之宮、二之宮が氏子44力町により奉納される。
1953 昭和28 氏子44力町により本社神輿三之宮が奉納される。
1958 昭和33 10月17日、浅草寺新本堂落慶。浅草大観光祭と銘打って11月30日まで浅草観音本堂完成記念御開帳。11月2日、明治以降初めての船祭を斎行。
1960 昭和35 松下幸之助の寄進により95年ぶりに雷門が再建される。
1963 昭和38 交通規制など諸般の事情により、三社祭の開催日をそれまでの5月17日・18日から「5月17・18日に近い金・土・日曜開催」に変更。
1964 昭和39 4月、仁王門(現在の宝蔵門)再建。
 
1973 昭和48 11月、五重塔再建。
1978 昭和53 浅草寺開創千三百五十年記念・東京浅草まつりで「古式祭礼絵巻三社大権現」の神輿渡御が行われた。隅田川で早慶レガッタ、花火大会復活。
1979 昭和54 10月、大東京祭協賛事業として江戸神輿大会が開催される。
1981 昭和56 第1回浅草サンバカー二バル開催。
1981 昭和58 3月、弁天堂を再建。
1995 平成7 前年11月から2年がかりの「浅草神社社殿の平成大修営及び宮神輿の修復新装」のため、宮神輿渡御が中止される。
1996 平成8 「社殿及び宮神輿平成大修営奉祝大祭」として例大祭を含め10日問にわたり盛大な祭事を執り行う。
2000 平成12 3月17・18日、「浅草寺本尊示現会」の一連の行事であった「古式三社祭舟渡御」の一部を「堂上げ・堂下げ・庭祭礼」として再現(以後毎年3月に開催)。
2003 平成15 11月、駒形堂落慶。
2010 平成22 浅草寺本堂大営繕完成。屋根を「カナメチタン段付き本瓦葺」に(21・22年は堂上げ・堂下げは中止)。 
2011 平成23 東日本大震災により、例大祭式典を除き三社祭のすべての行事を中止。
2012 平成24 3月17・18日、三社祭斎行700年祭「船渡御」斎行予定。

 

【参考:浅草寺HP、浅草神社HP、浅草槐の会HP、『東京わが町 宮神輿名鑑』(原 義郎)】

 

 


 

※この記事は「 いなせな 浅草っ子のお祭りガイド 」より抜粋したものです。


 

ページの先頭へ

お祭りミュージアム実行委員会について

Copyright © お祭りミュージアム All Rights reserved.
「祭りミュージアム」は、東京和晒株式会社の登録商標です。(登録第5371351号)

東京和晒グループサイト :東京和晒 創造館てぬクリ工房はんてんのことなら、伴天ねっと!日本の祭りマツリドットコムオリジナル伴天・手拭製作の東京和晒